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子宮内膜症→チョコレート嚢胞(ここまで自覚なし)→明細胞腺がん発覚。今は経過観察中。ふだんは漫画やアニメの話題など。

手術の日 2

 

目が覚めると、そこは病室だった。

なにがなんだかわからない状態の頭だったが、

主治医が私の顔をのぞきこみながら、

「そこそこの出血があったからね!」と言って去って行った。

 

とにかく、寒い!

もう寒くて寒くて、震えていた。

電気毛布がかけられているのだが、歯ががちがちと当たるくらい震えていた。

 

まだぼうっとしたままだったが、ベッドの周りには2、3人の看護師の

気配が感じられた。

体温を測り、血圧を測られる。

 

私が目を開けているのを見たのか、旦那さんが私の顔をのぞきこんで言った。

「おつかれさま~。」

・・・脱力させないでください・・・。

私は力が抜けたまま、手を振った。

これから帰宅して、娘たちの食事を作ってくれるはずだ。

 

足にはブーツ型のマッサージ機がつけられており、それが時折ぐうっと空気を

含んでは、しばらくして空気が抜けていくという状態を、えんえんと繰り返していた。

 

鼻には、酸素のチューブがつけられていた。

それでも、なんだか息苦しい感じがしていた。

 

やっと体が温まってきたかと思うと、今度はやたらと体が熱くなってきた。

だが、まだ水は飲めない。

特に背中が熱くて、それがとても気になった。

 

背中といえば、なんだか固いものが当たっていた。

これが硬膜外麻酔を据え置いた、痛み止めかなあ・・・と思う。

これのおかげか、傷自体の痛みはさほど感じなかった。

 

のちに聞いたのだが、母は、手術後の夜は泊りこもうと思っていたらしい。

が、簡易ベッドが寝にくいと聞いて断念したのだそうだが、それは

正しい判断だったと思う。

私は2種類の簡易ベッドを使ったことがあるが、あれはかなり寝にくい。

ましてや、腰が曲がった母があのベッドを使ったのなら、腰やその他の部分に

負担がかかるのは目に見えている。

結局、母は20時半ごろに帰宅したそうだ。

 

その頃には麻酔もほとんど覚めてきていたのだが、今度は胸に貼り付けてある

何かがとても気になりだした。

触ってみると、固くて丸い。

看護師に聞いてみると、心電図のモニターだそうで、明日の朝まで外せないと

聞いてがっかりした。

うっとおしいこと、このうえない・・・。

 

足のマッサージ機もうっとおしいが、それは術後6時間以上たった時点で

外してもらえた。

鼻に入っていた酸素チューブは、それよりも早く抜いてもらえたのが意外だった。

 

 

とにかく、体がずっと熱かった。

自分がどういう体勢になっているのかもわからない。

体を動かそうにも、おなかの中の違和感が激しくて動かしづらかった。

もどかしい。

寝がえりできないつらさを、この時に知った。

娘が術後、痛みの中でも頻繁に体の向きを変えたがった理由を、初めて知った。

ああ・・・。娘はすごいな・・・。

と、私は親ばか丸出しでしみじみそう思った。

 

 

ところでこの術後の夜の担当看護師は、私と同じく、子宮と卵巣を全部摘出する

手術を受けたのだそうだ。

寝ているのか起きているのかよくわからないままの状態で聞いたそれは、

はっきりと覚えているし、同時に心強く思った。

こんなしんどい状態から回復して、夜勤もできるほど元気になれるのだ、と。

 

 この夜は結局、あまり眠れていなかったように思う。